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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)974号 判決

鹿児島県鹿屋市南町一六七〇番地

上告人

田代大起

右訴訟代理人弁護士

安楽半二

鹿児島市山下町 鹿児島県庁内

被上告人

鹿児島県知事 寺園勝志

右指定代理人

鹿児島県主事 平嶺正春

右訴訟代理人弁護士

宮元庄蔵

鹿児島県鹿屋市南町三五二五番地

被上告人補助参加人

森田孝吉

右訴訟代理人弁護士

登政良

右当事者間の農地買収に関する不服事件について、福岡高等裁判所宮崎支部が昭和三〇年九月一九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人徳田禎重の上告理由第一点について。

論旨は、上告人は原審において参加人の二男山口辰喜は、昭和二一年度水稲作から本件土地を自作する旨の申出をしたのに対し、上告人は、小作人も多いから同年度から一筆宛でも返させるように相談しようと返事して置いたとの主張をしたのにかかわらず、原審が右主張を判決に摘示しなかつたことは違法であると主張する。しかし、本件主要の争点は、昭和二〇年一一月二三日当時本件土地が自作地であつたか小作地であつたかにあるのであるから、右争点につき上告人のなすべきこととしては、前記日時当時本件土地が上告人の小作地であつたことを主張すれば足り、論旨のいう上告人側の主張は、単なる事情の説明に過ぎないので、これを判決中に摘示しないからといつて、違法ということはできない。その他の所論は原審が適法にした事実認定を非難するに過ぎず、原判決には所論のような違法は認められない。

同第二点について。

論旨前段は、原審が証拠とした甲第八、九号証によれば、昭和二〇年一一月二三日当時、本件土地は小作地であつたことが推論されるにかかわらず、これを上告人の不利益に採用して自作地であつたと認定したことは、論旨引用の大審院判決にも違反し違法であると主張する。しかし、原判決は右甲号証だけで所論の事実を認定したものではなく、これを原判決挙示のその他の証拠と総合して、原判示のように合意解約がなされた事実を認定した上、所論基準日当時本件土地は小作地ではなかつたと判断したものである。そして、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示事実を認定し得られるのであり、所論甲号証は右認定を妨げる資料とはならない。されば、引用の判決は本件に適切でなく、原判決には所論のような違法はない。論旨後段の所論は、原審が適法にした証拠の採否を非難するに帰するので、採用することができない。

同第三点について。

論旨前段は、原判決は当事者の主張しない本件土地引渡の事実を認定した違法があると主張する。しかし本件においては、原審としては、昭和二〇年九月一五日頃合意解約が成立し、従つて基準日当時、本件土地が自作地であつた旨を認定すれば足り、その後土地の引渡があつたという事実は単に事情として附加的に認定されたに過ぎないと解すべきである。そして、かように主要事実以外の事情にわたる事実については、当事者の主張を待たないで裁判所がこれを認定することは、なんら違法ではないから、所論は理由がない。論旨後段は、本件土地二筆のうち少くとも一筆については、引渡のあつたことを認むべき証拠はないというにある。しかし、原判決挙示の証拠によれば、九月一五日頃本件土地返還の合意が成立し、山口辰喜が人員二名を連れて現場に臨み、本件土地のうち一筆を鋤き返したことが認められるので、これだけの事実から、本件土地の全部につき引渡があつたと推断することは、必ずしも不可能ではないから、虚無の証拠によつて事実を認定したという所論は当らない。のみならず、引渡云々の事実は、単に事情に属する事実に過ぎないから、この部分の認定に違法があつたとしても、原判決に影響はないので所論は理由がない。

よつて、民訴三九六条、三八四条一項、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔)

昭和三〇年(オ)第九七四号

上告人 田代大起

被上告人 鹿児島県知事

右補助参加人 森田孝吉

上告代理人徳田禎重の上告理由

第一点 原審判決は民事訴訟法第三百九十四条に所謂「判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背があります即ち同法第百九十一条第一項第二号に依れば判決には「事実及争点を記載することになつて居る而して第二項には「当事者の陳述に基き要領を摘示して之を為すことを要す」とありて要領即ち要点は全部記載すべく決して要点を省略する事は許されないのである。

而して本件は原審判決も其理由中に説明せらるゝ如く昭和二十年十一月二十三日現在本件土地が自作地であつたか小作地であつたかが争点である。

被上告人及地主たる参加人森田孝吉は右は自作地であつた事実として「昭和二十年九月八日参加人の二男である訴外山口辰喜が復員帰郷し」云々「参加人は同月十五日頃」云々「快くこれを承諾し」云々と認定されある如く(判決書七枚目表六行目から)事実の主張を為したるに対し上告人は第一審に於ては被上告人が甲第十二号証(裁決書)の如く本件と関連ある窪勇吉の訴訟中其主張を取消し(甲第七号証参照)反対に参加人から訴へられ(甲第十九号証白浜行雄の証言調書及甲第二十号証参加人対被上告人間の判決書参照)当時本件に於ても合意解約の無かつた事は認めて居つたから只上告人が自小作地を通じても二町歩以上無いことを専ら主張立証したのだが意外にも合意解約の点で敗訴となつたので第二審では合意解約の無かつた事につき事実の主張を拡張し之を立証する義務あることを反省し昭和二十八年九月十八日準備書面を以て(イ)項から(ル)項迄十一項に亘り詳細陳述したのである。

前記十一項中最も重要な主張は(ハ)項の「昭和二十年九月中旬頃地主森田孝吉の二男山口辰喜が控訴人(上告人)と途中にて行遇たる際昭和二十一年度からは自分の方で集団地区を耕作したいとのことであつたから控訴人(上告人)は小作人も多いから一筆宛でも返させる様に相談しようと返事して置いたのである」との陳述と右判決が認めた「参加人の次男山口を介して」云々控訴人(上告人)は「之を承諾した」との事実は上告人対山口間の交渉の事実関係であつて且つ本件の焦点であります即ち山口の言う如く本件土地を返して貰い度いと申込んだのに上告人が本年麦作から返しましようと返事をしたか又は上告人が原審で主張した前記(ハ)項陳述の如く「山口は昭和二十一年度からは自分の方で集団地区を耕作したいとのことを申込んだのに対し小作人も多いから一筆宛でも返させる様に相談しようと返事をしたのか右の如く相対立せる二個の主張何れが真実なりやに本件勝敗が懸るのであつて右両名の録音があるものならば後に説明する如く被上告人が相反する二個の裁決を為し参加人である地主及小作人双方から行政訴訟を提起せらるゝ事もなく又行政訴訟である本件と小作権確認訴訟と互に相反する事実認定を基本とした判決即ち本件行政訴訟では合意解約があつたと認定し小作権確認訴訟では合意解約は無かつたとの判決があつて何れも上訴中である変態現象も起らないのである。

前述の如く山口と上告人間の対話即ち本件焦点の右主張を判決に摘示して無いのは果して右の主張事実に対する証拠調をされたのか不明である。

原審判決が被上告人勝訴の書証として採用された甲第八号証参加人森田孝吉の鹿屋警察署に於ける供述書第十一項中(六枚目裏二行目から)「山口辰喜が復員して来ましたので」云々「田代大起の内に行つて昭和二十一年度から全部自分の方で耕作するからと通告せしめたところ」云々とあり又右同様被上告人勝訴の書証として採用された甲第九号証山口辰喜の供述書第九項には明瞭に「来年からは内に作らしてくれと相談して置けとの事であつたと話しました処が」云々と供述して居り昭和二十年の麦作から返せとの事では無かつたのである右二個の書証からしても山口辰喜は土地返還の時期を定めて申込んだ事が明瞭であります然るに原審は只単に土地の返還を申込んだ処が承諾したとの事を参加人森田孝吉、父子が証言して居るとの理由で之を鵜呑みにして昭和二十年十一月二十三日の基準日には本件土地は自作地であると断定されたのである右父子の外本件被控訴人勝訴の証拠として採用された事務官徳重正夫の証言があるが(証言調書末から二枚目表始めから三行目以下)只参加人森田孝吉から聞いたとの事で最も重要な鹿屋市農地委員会についての調査はないのでありまして右調査に疑を起し県農地委員会は委員白浜行雄を派遣して調査を為し甲第十二号証の通り前の裁決を取消したのであります。

地主が小作人に対し耕作地の返還を求むる場合には時期を定めずして即時解約することは農民間の慣習にも反するのである特に本件に於て解約したと称する昭和廿年九月十五日頃は稲の花が咲く頃であつて其時季に水田の返還を交渉する場合は必ず本年稲の刈取後とか又冬作である麦の刈取後明年水稲作時季とか引渡に付話合があるのは一般の常識である許りでなく農民間に於ける慣習である尚進んで昔から二毛作の場合は小作人は夏作である米の大部分を地主に納め冬作(裏作と称す)である麦の収獲を全部自分の食用味噌用に供するのを娯みにして居つて随つて小作米を地主に納める時期も麦を植付けた後旧正月末日頃で其小作人は毎年水稲作準備時季から翌年麦作刈取時期迄の小作料に該当する事は日本全国を通じて顕著な慣習である之に対する法規を検討して見ると民法第六百十七条及旧農地調整法第九条の規定は右慣習を強調するものであつて耕作地の返還に関する交渉には必ずや其時期に付話合がある筈である、特に本件は地主が集団地として一町八反歩余を所有する水田に付土地管理人兼小作人である上告人に対し途中で行き遇つた際地主の二男山口が右集団地を返して呉れと云うたら返しますと云うたとの事丈で返す時季等に付何等の話合もない単純の証言で合意解約があつたと判断し随つて上告人の主張する「右山口は昭和廿一年度からと返す時期を云つたのに対し上告人は小作人も多いから一筆宛でも返すこと相談しましようと返事したとのことを排斥したのは前記地主対小作人間に於ける顕著な慣習にも反する違法の判決である叙上の如く重要なる主張及争点であるにも不拘上告人が昭和二十八年九月十八日附準備書面中(ハ)項に主張した「昭和二十年九月中旬頃地主森田孝吉の二男山口辰喜が控訴人と途中にて行遇たる際昭和二十一年度からは自分の方で集団地を耕作したいとのことであつたから控訴人は小作人も多いから一筆宛でも返させる様に相談しようと返事をして置いたのである」と明瞭に記載あるを原審判決には(二枚目裏一行目)ところが同年九月中旬頃参加人の二男である訴外山口辰喜から右集団地を自作するので返還され度いとの申入があつたため控訴人は右訴外富岡義雄に相談の上」云々と記述してあるのみで山口辰喜から昭和二十一年度から自作したい旨の申込」及「控訴人が小作人も多いから一筆宛でも返させる様に相談しようと」返事した本件勝敗を決すべき重要な事実主張を省き(本件判決の摘示と前記準備書面とを対照すれば明かである)直ちに控訴人が「一筆宛でも返させる様に相談しようと返事した主旨に基き右集団地中約半分の八筆の田地を小作して居る富岡義雄に相談したところ案外五筆を二十一年度から返還する承諾を得た主張事実((ハ)の末段に記載した部分)と直結されて居るのである右富岡義雄に関する事実を控訴人が主張したのは右準備書面(ニ)項にも記載ある如く参加人森田孝吉は折角控訴人が山口の申出のあつた如く昭和二十一年度即ち同年水稲作から参加人が水稲作の出来る様に小作人の承諾を得て取上げたのに水稲作の準備が出来て居らないので控訴人は参加人森田孝吉の依頼を受けて他に小作人を見付けて小作させた事実によつても山口辰喜と控訴人間に昭和二十年九月十五日現在出穂中の水稲刈取後水田全部を返す解約の無かつた事を立証すべき事実関係として主張したのであるが上告人が此第一点に繰り返し主張し居るところの原審に於て主張した事実の要点を省略して判決に摘示したため恰かも山口が昭和二十年九月十五日(昭和二十一年度から自作する旨の申込で無かつた如く)返還する約束をしたとの主張を裏書するものゝ如く誤解される摘示の仕方である、何となれば控訴人が即時返還を山口に約束したからこそ富岡は五筆の田地を返したのではないかと直感される摘示である。(昭和二十一年度から四筆を返したけれども他に小作人を見付けて小作させた事は参加人も認めて居るのである)

前叙の如く山口は昭和二十一年度即ち昭和二十一年水稲作から自作するからとの申出をした事及上告人は小作人も多いから同年度から一筆宛でも返す事にしようと返事したとの事実の主張を判決に摘示してないから違法である若し二十一年度から返せとの事であつたならば判決が強調する昭和二十年十一月二十三日の基準日には小作地なる事明瞭であつて随而判決に影響を及ぼす事明瞭であります。

参考判例 明治四十五年四月六日大審院判決、大審院判例集四四巻一〇、〇五四頁、同十八輯三四七頁

第二点 事実の認定は裁判官の専権であることは新旧憲法の保証するところであるけれども絶対無限のものでないことは「大正七年十二月二十六日大審院判決(大審院判例集八十一巻一九、一九九頁、同二四輯二四四一頁参照)に強調するところである即ち「事実の認定は事実承審官の自由なる心証に基き判断すべき専権事項なりと雖凡そ推理上一定の事実より当然推論し得べき事実の発生を否認せんには須く其理由を明にせざるべからず」とあるに依つて疑問の余地ないものと信ずる。

本件判決が被上告人勝訴の証拠として採用せる甲第八号証森田孝吉の鹿屋警察署に於ける供述書第十一項中(六枚目二行目から)山口辰喜が復員して来ましたので」云々「田代大起の内に行つて昭和二十一年度からは全部自分の方で耕作するからと通告せしめたところ」云々と明瞭に陳述して居り又同甲第九号証山口辰喜の供述書第九項には(三枚目裏末尾から二行目)「父から子供も復員して帰つて来るから来年(昭和二十一年のこと)からは内に作らして呉れと相談して置けとのことであつた」云々と明瞭に陳述して居るのであります而して右の陳述は事件直後昭和二十二年八月の事で比較的正直に供述して居りますがそれから一ケ年七ケ月を経過した昭和二十四年三月本件土地が買収地となつたので買収基準日が昭和二十年十一月二十三日である関係上乙第三号証の一本件裁決第一〇六一号訴願の如く右基準日以前土地の引渡を受け引続き昭和二十二年度即ち昭和二十三年春麦作迄自作して居つたが上告人等の仮処分に依り自作が出来なくなつた様に訴願書に記載し以て事件当初警察署で述べた右、甲八、九号証記述の昭和二十一年度から返す様に申込んだ事実を秘して居る事は乙第三号証の一甲第十二号証裁決第一、三六七号証甲第十四号証山口辰喜の証言調書甲第十九号証白浜行雄の証言調書甲第二十号証参加人対被上告人の判決書(事実の認定に及ばず)甲第二十二号判決書以上各証に依つて明瞭であります。

要するに原審裁判所が信用されて判決の基本証拠にされた甲第八、九号証中参加人森田孝吉、父子が昭和二十一年度即ち昭和二十一年水稲作から返地する様に申込んだ事実は明瞭である依而此の事実から推論すれば当然昭和二十年十一月二十三日の基準日は小作地であると推論される此の事実を排斥して右基準日は自作地であると断定するには須く其理由を明かにすべきものであることは右大審院判決の明示するところである。

尚原審が上告人敗訴の証拠として採用された甲第十四号証第四項には(一枚目裏末行から)「私の復員当時被告である私の父が訴外田代大起の処に行き原告及び他の者が小作して居る被告所有の土地を返して貰う様に交渉し小作人より一筆ずつ返して呉れる事になつて居りました」と明瞭に陳述して居り又原告代理人の問に対し(二枚目裏末から三行目)訴外「田代の分が一筆だつたと思います」と陳述してあつて原審判決末尾に添付してある図面中上告人が小作して居る十七、十八、十九号の三筆全部でない事を陳述して居るから右上告理由第一点に於て論述した如く原審判決が摘示を省いた「上告人が山口に対し小作人も多いから一筆でも返す事に相談しましよう」の主張を裏書するものであつて斯の如く上告人の主張に合致する証拠を反対に不利益に採用される場合は前記大審院判例の示す通り其説明を要するものと思考する。

尚又参加人森田孝吉が事件直後の昭和二十二年八月頃鹿屋警察署に於ける供述書には昭和二十一年度自作したい旨の申入を上告人に為した旨明かに陳述して居るにも不拘本件土地が買収される事になつたので右の如く陳述しては昭和二十年十一月二十三日の基準日には小作地であつて買収を免れないから右事実を秘して昭和二十年九月十五日解約自作地として昭和二十二年度迄耕作したが昭和二十三年夏上告人が仮処分決定を受けて自作が出来なくなつたと虚偽の訴願を為し本件裁決の如く除外された事は乙第三号証の一に明瞭であるが其後上告人が小作人富岡義雄から五筆を取上げて其田地を昭和二十一年水稲作から自作させる為め参加人(地主)宅を訪問した際右五筆に関する交渉を本件土地及他の小作人の土地に関する話合の如く利用して本件土地に付ても麦作迄作らせて呉れとか又更に一年間作らせて呉れとか上告人から相談があつて引続き小作人が耕作したもので取上の時季は昭和二十年九月十五日であると頑張り依而本件に於ける地主としての証言も右の趣旨で陳述して居るが其偽証であることは事件当初の供述即ち本件買収計画前の供述である甲第八号証甲第九号証に依つて明瞭であるが尚参加人が本件の証人として供述した本件第一審に於ける証言(昭和二十五年六月十二日鹿屋簡易裁判所法廷に於ける嘱託尋問)中第六項に「右土地の小作料は昭和二十一年三月迄取りました昭和二十年九月に返すことになつて居たのでありますが昭和二十一年三月田代の方から来て麦が作つてあるから麦迄作らせて呉れとの事でありましたので」云々と述べて居りますが麦の植付は前年十二月頃であつて翌年三月に至り作らせて呉れと相談する筈もなく又「第七項に「その後も田代の方で勝手に耕作して居ります」と供述して居るが右調書中原告代理人の問に対して十五項には耕作を承諾した旨陳述して居り又第十六項には「私は小作人が一筆宛私に返すとの話がありましたが承知しなかつたので一筆も返しませんでした」と明かに甲第八号証同人の供述書第十二項の陳述及甲第九号証山口辰喜の供述書第十三問と全然相違する偽証をして居ります。

又原審の嘱託に依り昭和二十九年六月二日鹿屋簡易裁判所法廷で参加人が証言した陳述中控訴代理人の問に対し第二項(調書二枚目裏六行目から)に小作人富岡が返して来た五筆を田代大起が勝手に耕作させた様に陳述して居りますが之も甲第八号証同人の供述書第十項末段には「昭和二十一年度からは小作人富岡義雄の方から三反余り返してやりましたので私は止むなく田代大起に小作人を取つて呉れる様に云うて其返して来た田地は」云々とあるに対照すれば全然偽証をして居りまして原審判決が斯かる偽証を採用された事は結局右上告理由第一点の争点事実を考慮せられず単に地主森田孝吉父子が昭和二十年九月十五日解約を申込んだ処が小作人兼土地管理人である上告人が承諾したとの証言を過信された結果前記の如く右両名が前後矛盾せる各証言及甲号各証につき詳細に検討されなかつた証左であると信ずる次第であります。

第三点 原審判決は其理由中に(判決書七枚目裏一行目から)「自ら賃借耕作していた本件農地を返還すべきことを約し次いで同年十月中右訴外山口を現地に案内して引渡を了したので同訴外人は同月末頃麦作をなすためこれを耕したところ間もなく控訴人は参加人方を訪れ」云々と本件土地の引渡ありたる如く認定されたるも右は当事者の主張せない事実を認定せる違法あり何となれば右判決が被控訴人の主張として摘示せる事実には「昭和二十年九月十五日右賃貸借契約を合意解約しただ同年裏作迄便宜耕作することを認めたに過ぎないから」とあつて被控訴人が土地の引渡を主張した事実はないからであります。

又本件全証拠中には昭和二十年十一月二十三日前に引渡を完了したとの証拠は見当らないのである尤も合意解約は無かつたのであるから参加人等の右に関する証言は偽証であるが其偽証中にも(本件に付昭和二十五年六月十二日鹿屋簡易裁判所法廷で陳述した森田孝吉の証言調書第六項に)「昭和二十年九月に返すことになつて居たのでありますが昭和二十一年三月に田代の方から来て麦が作つてあるから麦迄作らせてくれとの事でありましたので」云々と引渡の無かつたことを述べて居ります又只甲第十四号証(原告窪勇吉、被告森田孝吉間訴訟の証言第八項)原告代理人の問に対し「原告(窪勇吉の事)の小作地三筆に対し鋤返したのは確二筆で訴外田代(上告人の事)の分が一筆だつたと思います」とある丈で之が事実としても一筆丈を引渡した如く認められるのみでありまして(本件の外に一筆あつて其分は除いてある)他に引渡を受けた証拠は無いのであるから原審判決は虚無の証拠に依つて事実を認定した違法あるものと信ずる。

本件は複雑な経緯ある事件でありますから余論として其経緯を記述することの御許しを願ます。

原審判決摘示(判決書二枚目裏末行)「ところが昭和二十二年五月頃に至り」云々以下に主張して陳述し居る通り地主たる参加人の余りの暴挙に対し他の小作人の関係もありまして器物毀棄並びに農地法違反として告訴すると同時に他面占有回復並びに賃借権確認の訴訟を提起したのであります其結果は甲第七号証鹿屋警察署長の意見書の通り起訴となり第一審に於ては昭和二十三年十月二十一日有罪の判決がありましたが控訴審に於ては当時事件輻湊の為め漸く二年後の昭和二十五年十二月十一日に至り第一回公判を開いたので其間本件土地其他の土地が買収関係発生し参加人が虚偽の事実と主張して訴願を為し以て買収除外の裁決を受け被上告人に於ても複雑な経緯のあつた事は乙第三号証の一、甲第十二号証、甲第十九号証、甲第二十号証に依り明瞭でありますが右除外裁決が昭和二十四年三月でありましたので右刑事々件の弁護人は右除外裁決を証拠に提出し尚甲第十一号証の通り弁論要旨を提出したのであります其結果参加人が無罪となつたのでありますが右刑事判決に疑問のあることは控訴人が前記昭和二十八年九月十八日附準備書面中証拠説明の部分(準備書面十一枚目始の行から)に詳しく記述してありますから此処には省略しますが(弁護人が農地法の経過規定を見なかつたのである)今回原審の判決には其判決理由中(判決書七枚目裏七行目から)「昭和二十一年度の一箇年を限り更に耕作させて貰い度い旨」云々「参加人は従来の関係もあり已むなくこれを承諾した事実を認めることが出来る」と断定されて居るから旧農地調整法の規定上、強制取上げが所罰を受くべき事は疑問の余地はないのであります他面昭和二十二年七月八日参加人に対し提起した民事々件は本件行政事件の結果を待つて居りました関係もありまして漸く本年五月三十一日に(本件記録末尾 綴つてある)本年六月十五日弁論再開申立書に添附してある鹿屋簡易裁判所の判決書の通り本件土地の合意解約は無かつた事を認め上告人勝訴の判決を受け又本件と関聯ある同時に窪勇吉が提起した民事々件も第一審で参加人森田が敗訴鹿児島地方裁判所に控訴したるも敗訴の判決を受けた事は証第二十二号証判決書の通りであります斯くの如く行政事件としては本件乙第四号証の通り右証第二十二号判決と反対の事実認定であつて又本件判決と右弁論再開申立に添附しある鹿屋簡易裁判所の判決とは相反する事実認定であります。

叙上の如く判決が裁判所に依つて相反する事実認定をされることは日本の裁判官が憲法第七十六条第三項、裁判所法第四条の反面解釈、民事訴訟法第百八十五条の規定に基く良心の輝きであつて御庁に於ける小数裁判官の御意見の発表と同様なる事を懐い其尊厳洵敬虔の念に堪へない次第であります只御庁の小数意見は法律解釈で本件に関聯する事は事実の認定で聊か趣きを異にする様でありますが是れは弁護士である訴訟代理人の怠慢微力の致すところで各裁判所同様に事実を反映せしむる事が出来なかつた結果に因るものと深く反省して最後には事実の帰一する事に奮励努力する覚悟であります。

以上

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